ドーゲン・サンガ ブログ

  西 嶋 愚 道

English / German

2006年10月31日火曜日

学道用心集(7)第六 参禅に知る可(べ)き事

右、参禅(さんぜん)学道(がくどう)は一生の大事なり、忽(ゆるが)せにす可(べ)からず。
豈(あ)に卒爾(そつじ)ならんや。
古人、臂(ひじ)を断(た)ち指(ゆび)を斬(き)る、神丹(しんだん)の勝躅(しょうちょく)
なり。
昔(むかし)仏(ほとけ)、家を捨(す)て国を捨(す)つ、行道(ぎょうどう)の遺蹤(ゆいし
ょう)なり。
今人云く、行(ぎょう)じ易(やす)きの行を行ずべしと。
此(こ)の言(ごん)尤(もっと)も非(ひ)なり、太(はなは)だ仏道に合(かな)わず。
若し事(こと)を専(もっぱ)らにして以つて行(ぎょう)に擬(ぎ)せば、偃臥(えんが)も猶(
な)お懶(ものう)し。
一事に懶(ものう)ければ万事(ばんじ)に懶(ものう)し。
易(やすき)を好むの人は、自(おの)ずから道器(どうき)に非(あら)ざることを知る。
況や今世(こんぜ)流布(るふ)の法は、此れ乃ち釋迦(しゃか)大師(だいし)、無量(むり
ょう)劫来(こうらい)、難行(なんぎょう)苦行(くぎょう)して、然して後乃ち此の法を
得たり。
本源(ほんげん)既に爾(しか)り。
流派(りゅうは)豈(あ)に易(やす)かる可(べ)けんや。
道(どう)を好むの士は易行(いぎょう)に志すこと莫(なか)れ。
若し易行を求むれば、定(さだ)んで実地(じっち)に達せず、必ず宝所(ほうじょ)に到ら
ざる者か。
古人、大力量(だいりきりょう)を具(ぐ)するすら、尚おし言わく、行じ難しと。
識(し)る(可)べし仏道の深大(じんだい)なることを。
若し仏道本より行じ易き者ならば、古来大力量の士、難行難解(なんげ)と言う可(べ)からず。
今人(こんじん)を以つて古人に比するに、九牛(きゅうぎゅう)の一毛(もう)にも及ばず。
而るに此の少根(しょうこん)薄識(はくしき)を以つて、縦ひ力を励(はげ)まして、難行能
行(のうぎょう)に擬(ぎ)するも、猶(な)お古人の易行(いぎょう)易解(いげ)にも及ぶ可(べ)
からず。
今人の好む所の易解易行の法とは、其れ是れ何ぞや。
已(すで)に世法に非ず、又(た)仏法に非ず、未だ天魔(てんま)波旬(はじゅん)の行(ぎょう)
にも及ばず、未だ外道(げどう)二乗(にじょう)の行にも及ばず、凡夫(ぼんぷ)迷妄(めい
もう)の甚だしきと云う可きか。
縦(たと)ひ出離(しゅつり)に擬(ぎ)すと雖(いえど)も、還(かへ)って是れ無窮(むきゅ
う)の輪廻(りんね)なり。
其の骨(ほね)を折り髄(ずい)を砕(くだ)くを観(み)るに、亦た難からずや、心操(しん
そう)を調(ととの)ふの事尤(もっと)も難し。
長斎(ちょうさい)梵行(ぼんぎょう)も、亦た難からずや、身行(しんぎょう)を調(ととの)うるの事
尤(もつと)も難し。
若し粉骨(ふんこつ)貴ぶべくんば、之を忍(しの)ぶ者昔より多しと雖も、得法(とくほ
う)の者惟(こ)れ少なし。
斎行(さいぎょう)の者貴ぶ可(べ)くんば、古(いにしえ)より多しと雖も、悟道(ごどう)の者
惟(こ)れ少なし。
是れ乃ち心を調(ととの)うること甚だ難(かた)きが故なり。
聡明(そうめい)を先(さき)と為(せ)ず、学解(がくげ)を先と為(せ)ず、心意識(しんい
しき)先と為(せ)ず、念想観(ねんそうかん)先と為(せ)ず、向来(こうらい)都(すべ
)て之(これ)を用いずして、身心を調へて以つて仏道に入るなり。
釋迦(しゃか)老師(ろうし)の云(い)わく、観音(かんのん)流(ながれ)を入(かえ)し
て所知(しょち)を亡(ぼう)ずと、即(すなわ)ちこの意なり。
動静(どうじょう)の二相(そう)、了然(りょうねん)として生ぜず、即(すなわ)ちこの調
(ちょう)なり。
若し聡明(そうめい)博解(はくげ)を以つて、仏道に入る可(べ)くんば、神秀(じんしゅう)上座
(じょうざ)其の人なり。
若し庸体(ようたい)卑賤(ひせん)を以つて、仏道を嫌うべくんば、曹渓(そうけい)の高祖
(こうそ)豈に敢(あ)えてせんや。
仏道を伝へ得(う)るの法は、聡明博解の外(ほか)に在ること、是(ここ)に於いて明かなり

探(さぐ)って尋(たず)ぬ可(べ)く、顧(かえり)みて参ず可(べ)し。
又(た)年老耄及(ねんろうぼうきゅう)を嫌(きら)わず。
又た幼稚(ようち)壮齢(そうれい)を嫌わず。
趙州(じょうしゅう)は六旬(じゅん)余にして始めて参ず、然りと雖も祖席(そせき)の英雄
たり。
鄭娘(ていじょう)は十二歳にして久学(きゅうがく)す、能く又た叢林(そうりん)の抜萃(
ばっすい)なり。
仏法の威(い)は、加(か)と不加(ふか)とに見(あら)はれ、参と不参(ふさん)とに分かる。
或いは教家(きょうけ)の久習(くじゅう)、或いは世典(せてん)の旧才(くさい)も、皆な
禅門を訪(と)うべし。
其の例是れ多し。
南岳(なんがく)の慧思(えし)は多才の人なり、尚お達磨(だるま)に参ず、永嘉(ようか)の
玄覚(げんかく)は秀逸(しゅういつ)の士なり、已(すで)に大鑑(だいかん)に参ず。
法を明(あき)らめ、道を得ること、参師の力(ちから)為(た)る可(べ)し。
但だ宗(しゅうし)師に参問(さんもん)するの時、師の説(せつ)を聞いて、己見(こけん)
に同(どう)ずること勿(な)かれ。
若し己見に同ずれば、師の法を得ざるなり。
参師(さんし)問法(もんぽう)の時、身心を浄(きよ)らかにし、眼耳(げんに)を静かにし
て、唯だ師の法を聴受(ちょうじゅ)し、更に余念(よねん)を交(まじ)えざれ。
身心一如(しんじんいちにょ)にして、水を器(うつわ)に瀉(そそ)ぐが如し。
若し能く是(かく)の如くならば、方(まさ)に師の法を得るなり。
今、愚魯(ぐろ)の輩(やから)、或いは文籍(もんじゃく)を記(き)し、或いは先聞(
せんもん)を蘊(つつ)み、以つて師の説に同(どう)ず。
此の時唯だ己見(こけん)古語(こご)のみありて、師の言(げん)未だ契(かな)わず。
或いは一類(いちるい)あり、己見を先と為(な)して、経卷(きょうかん)を披(ひら)き、一両語(いちり
ょうご)を記持(きじ)して、以つて仏法と為(な)す。
後に明師(めいし)宗匠(しゅうしょう)に参じて、法を聞くの時、若し己見に同ぜば是(
ぜ)と為(な)し、若し旧意(きゅうい)に合(かな)はずんば非(ひ)と為す。
邪を捨(すつ)る方(ほう)を知らず、豈に正(しょう)に帰するの道(どう)に登(のぼ)ら
んや。
縦(たと)え塵沙劫(じんじゃごう)も尚お迷者(めいじゃ)たらん、尤も哀(あわれ)むべし
、之れを悲しまざらんや。
参学識(し)るべし、仏道は、思量(しりょう)、分別(ふんべつ)、卜度(ぼくたく)、観想
(かんそう)、知覚(ちかく)、慧解(えげ)の外(ほか)に在ることを。
若し此(こ)れ等(ら)の際(さい)に在らば、生来(しょうらい)常に此れ等の中に在りて、
常に此れ等を翫(もてあ)そぶ、何が故ぞ今に仏道を覚(かく)せざるや。
学道は、思量分別(ふんべつ)等の事を用いる可(べ)からず。
常に思量等を帯(お)ぶる、吾が身を以つて検点(けんてん)せば、是(ここ)に於いて明鑑(めい
かん)なる者なり。
其の所入(しょにゅう)の門は、得法の宗匠(しゅうしょう)のみありて之を悉(つまび)ら
かにす。
文字(もんじ)法師(ほっし)の及ぶ所に非ざるのみ。
天福甲午清明(てんぷくこうごせいめい)の日書す。

(現代語訳)

上記表題の意味は、坐禅をし仏道を勉強することは、人間の一生における最大の重要課題であるから、軽く考えてはならないという事である。
どうして軽率に取り扱う事が出来よう。
過去の先輩方が、慧可大師の場合は腕を切り、倶てい和尚の場合は指を切るような激しさであつたけれども、何れも中国における優れた例である。
嘗て釈尊も、家庭生活を捨て国家を捨てたけれども、仏道修行に関する優れた例である。
現代の人々は、実行し易い修行を実行すべきであると云う。
しかしこの言葉は非常に間違つている。極めて仏道には適合しない。
若しも一つの事を単独に選んで、それを修行として実行して行こうとするならば、それが横になつて寝るような動作であつても、退屈を感じて続かないものである。
そして一つの事について退屈するようであるならば、何をやつても退屈することであろう。
易しい事をやりたがる人は、本来仏道修行に向いていない人であると云う事が出来る。
況して現在この世の中に行き渡つて居る釈尊の教えは、偉大な師匠である釈尊が、無限の過去から難行苦行を重ねて、その結果、この教えを得たものである。
仏道の本源である釈尊ご自身が、既にそのような実情である。
その流派の流れを汲むわれわれの修行が、安易である筈がない。
真実を愛好する人は、易しい修行に引かれてはならない。
もしも易しい修行を期待した場合には、例外無しに真実の境涯に到達する事が出来ず、決して宝の山には入ることが出来ないであろう。
過去の祖師方で非常に大きな力量を持つておられた方々でさえ、やはり修行は難しいと云われている。
そのような事例から、釈尊の教えが如何に深く大きいかが分かる。
仮に釈尊の教えが、本来修行し易いものであるならば、昔から非常に大きな力量を具えた方々が、釈尊の教えは、修行することが難しく理解することが難しいと云われる筈がない。
現代人の力量を過去の祖師方の力量と比較した場合、九匹の牛の全ての毛とたつた一本の毛とを比較した場合でさえ、過去の祖師方の力量と現代人の力量との相違を表わすことが出来ない。
そのような事情から、われわれのような素質も乏しく知識も少ない力量を使つて、仮に力を尽くして難行を実行しそれを成し遂げた過去の祖師方と比較した場合、われわれの努力は、過去の祖師方の易しい修行や易しい理解にさえ及ばない。
現代人が好む処の易しい理解とか易しい修行とかの教えとは、一体、何を指して居るのであろうか。
そのような教えは、既に世俗の教えとも違つているし、釈尊の教えとも違つているし、理想世界における悪魔や地上世界における悪魔の修行から見ても劣つており、佛教を信じない人々や、唯、理論的に佛教を勉強したり、唯、環境だけを大切にして佛教を勉強している人々にも及ばない。それらの人々は、一般の人々の間でも、特に迷いや誤解の甚だしい人々と云う事が云えるであろうか。
仮にそれらの人々が、家庭生活を離れ俗世間から出ようとしても、そのことは逆に無限の苦しい境涯を続けることになつてしまう。
過去の祖師方が、骨を折つたり骨髄を砕いたりした例を観察した場合、それらの例が難しくないという事では決してない。
しかし何が難しいかと考えた場合、心のバランスを調整する事くらい難しい事は無い。
長い期間に亘つて生活の規律を守り清らかな行いを続ける事も、決して難しくない訳ではないが、身体を使つて実行する行いを調整することが最も難しい。
仮に骨を砕く事に価値があるならば、そのような行いを我慢する人は、昔から多いけれども、釈尊の教えを自分のものにした人々の数は、極めて少ない。
日常生活における行いの調和を保つ事に価値があるのであるならば、昔からそれの出来た人は多いけれども、釈尊の教えの真実を得た人は誠に少ない。
そしてこのような事実は人々にとつて、心を整えることが非常に難しい事と関係している。
耳がよく聞こえるとか眼がよく見えるとかという事が、最も大切な事ではないし、学問に対する理解が最も大切だという事でも決してない。心、意欲、意識が最も大切だという訳でもなければ、想念や思考や直観が最も大切であるということでも決してない。上に挙げたような心の働きを全て使わずに、身体と心とをバランスさせる事によつて、釈尊のお説きになつた教えの世界に入つて行くのである。
偉大な師匠である釈尊が、「観世音菩薩は物事に対する考え方を完全に入れ換えて、知識の世界を乗り越えた」と云われているけれども、その内容は上記のような意味である。
活動的な要素と静止的な要素とが完全にバランスして、どちらの要素も全く表面に出て来ない状態が、正にこのバランスした状態の実体である。
もしも耳がよく聞こえるとか眼がよく見えるとか、理解が広いとかという能力を基礎にして、釈尊の説かれた教えに入つて行くことが出来るのであるならば、神秀上座が大鑑慧能禅師の跡を継ぐべき人材であつたであろう。
もしも身体が平凡な体格であり、卑しく見窄らしい様子をしている事を釈尊の教えが嫌うならば、大鑑慧能禅師が大満弘忍禅師の跡を継ぐ筈がない。
釈尊の教えを伝える事の原則が、耳がよいとか眼がよく見えるとか理解が広いとかという事実とは、別の問題であることが、このような事実からはつきりしている。
そのような事実は、探せば見つかるものであるから、それらを参考にして坐禅をするべきである。
また仏道においては、老齢であるとか老衰しているというような事実を嫌わない。また年齢が幼少であるとか、壮年であることを嫌わない。
趙州従諗禅師は六十歳を過ぎてから、始めて仏道修行に参加したけれども、達磨大師の系統における優れて力強い人物となつた。
また鄭家の娘で鄭娘と呼ばれた人物は、十二歳ではあつたけれども、既に長らく佛道を勉強しており、仏道修行の寺院でも、極めて優れた人物であつた。
釈尊の教えに伴う威厳は、その人が実際に体験しているか居ないかによつてはつきりと見えて来るし、実際に経験しているか居ないかによつて、はつきりと分かれて来る。
ある場合には理論的な佛教における長年の研究者や、ある場合には世俗の学問に置ける長年月の学者も、坐禅の修行をする寺院を訪ねるべきである。
またその実例も多い。
南岳の慧思禅師は、非常に広般な能力の持ち主であつたけれども、やはり達磨大師に弟子入りした。
また永嘉の玄覚大師は非常に優れた人物ではあつたけれども、やはり大鑑慧能禅師に弟子入りした。
釈尊の教えをはつきりと理解して真実を得るに当たつては、やはり師匠について学ぶことの意味が大きいであろう。
ただし根本思想の師匠に就いて学問を勉強する際に、師匠の説を聞いてそれを自分の見解に同調させてはならない。
もしも師匠の説を自分の説に同調させてしまうならば、師匠の教えを自分のものにすることが出来なくなつてしまうのである。
師匠に従つて釈尊の教えを勉強する場合には、身体も心も清らかにし、眼や耳を冷静にして、専ら師匠の教えだけを注意して聞き、それ以外の考えを紛れ込ませてはならない。
身体と心とが完全に融け合つて、一つの器の水を他の器の中に全て移すのと同じように、師匠の教えを残す事無く自分の思想の中に移すべきである。
もしもこのような事が実際に出来るならば、その時はまさしく師匠の教えを自分のものにする事が出来るのである。
現在においては、愚かでのろまな人々がある場合には書物を書き、ある場合には過去において聞いた事を覚えて居て、それらの知識を師匠の教えの中に混ぜてしまう。
此の場合には、自分自身の考え方と古い昔の言葉だけが残つてしまい、師匠の教えに就いては未だ充分な納得がいつていない。
ある場合には一群の人々が居て、自分自身の考えだけを優先させて、経巻などを開き、一つ二つの短い言葉を記憶して、それを釈尊の教えとして強調する。
その後に充分に理解の進んだ師匠や宗門の師匠に弟子入りして、釈尊の教えを聞く場合でも、もしもそれが自分自身の考えと一致している時には正しいと認定し、自分自身が古くから持つて居る考え方に適合しない場合、それを否定する。
その場合には間違つている教えを捨てる方法が分かつていないのであるから、どうして正しい教えに行き着く道を登つて行くことが出来よう。
たとえ無限の長期間に亘つて仏道修行をしたとしても、結局は迷つた人間として一生を終わるであろう。大変哀れな話である。此の事を悲しまない人が何処にあり得るであろう。
仏道を学ぶ人々は知るべきである。仏道は思考、判断、想像、直観、感覚、理解以外の処に在ることを。
もしも仏道が思考、判断その他の中にあるとするならば、この世に生まれてから何時も思考、判断等の中に住んでおり、何時も思考、判断その他と遊び戯れているような普通の人々が、何故何時迄経つても仏道をしつかりと掴むことが出来ないのであろうか。
仏道を勉強するに当つては、思考や判断等の手段を使つてはならない。
何時も頭の中で何かを考えたり判断したりしているわれわれ自身の実体を、細かく観察して見ると、現実の時点における実際の実情は、曇りのない鏡に映すように極めてはつきりしている。
そのような境地に入つて行く糸口は、宇宙の秩序を完全に自分のものにした師匠がいて、それらの師匠だけが、そのような事実を充分に知つて居る。
文字だけを勉強している理論的な佛教の師匠には、手のとどく境地では決してない。
一二三四年の春分の日から十五日目の日に、これを書き記した。

(解説)

この章においては、まず坐禅をし仏道の勉強をすることが、人生に置ける最大課題であることが説かれている。しかしそのような考え方を、この現実の世界において、一体何人の人が正しいと信じているであろうか。ある人々は社会的な地位が一段でも高くなることに狂奔し、ある人々はほんの一圓でも多い金銭収入に命を掛けている。そのような人間社会の実情の中で、われわれは果たして真実の存在を確信出来るであろうか。勿論人間社会の思想が観念論と唯物論とに分裂し、たつた一つの真実を確信することの出来ない時代においては、その事は不可能であつた。しかし釈尊の説かれた実在論を信じ、たつた一つの真実を信ずる佛教的な実在論の立場に立つならば、たつた一つの真実を追求する可能性が生まれて来る。したがつてもしもわれわれ人類が、たつた一つの真実の存在することを信じ、真剣にたつた一つの真実を追求する為には、従来われわれが信じて来た観念論と唯物論の撲滅が、先ず最初の重要課題であることを知らなければならない。

次にこの章においては、易しい修行を志すことが戒められている。云うでもなく仏道は苦行の教えではないから、苦しみを求める修行ではない。しかしそれと同時に、修行における難易に拘わつて、修行の選択をすることの誤りが説かれている。仏道修行は難易を超越した真実であるから、修行の出發に当つてその難易に関して議論することは、真理を探究する出發点において、真理の探究を放棄する態度を意味する事が説かれている。

そして更にこの章においては、真理の把握が、思考や判断や推測や直観や感覚や理解と無関係であることが説かれている。そして此の主張は何千年にも亘つて、理知の世界における真実を追求して来た今日における中心思想の立場から考えた場合、想像する事さえ困難な暴論として受け取らざるを得ない。しかし観念論と唯物論との二大思想を史実の座から引きずり下ろし、それに替わる行為の哲学を基礎として、新しい実在論を主張した佛教の立場からするならば、上記の主張は避ける事の出来ない当然の前提であつて、坐禅の修行を中心とした自律神経のバランスが、佛教的な実在論の根拠として登場して来る事を認めざるを得ない。この事実は釈尊誕生の以前から、厳然とした真実として宇宙の中に存在した事実ではあるけれども、科学的な裏付けは十九世紀、二十世紀以降に確立されたものである。したがつてそのような時代に生きることの出来たわれわれとしては、その幸せに感謝すべきであろう。

したがつて仏道修行は、文字や言葉だけによつて勉強すべきものではなく、坐禅のような行いを通して自律神経をバランスさせるのでなければ、真実に触れる事が出来ない。近年人類社会の中でも、身心の鍛錬を目的としたスポーツや、音楽の演奏や、演劇や、科学の分野における膨大な実験やフィールド・ワーク等に見られるように、文化の中心が現実主義の時代に既に突入し始めたことを物語るものであつて、今後人類の文化が観念論と唯物論との束縛を脱して、太陽が燦々と輝く現実主義の黄金時代を迎える事を、期待すること
が出来るように思う。

2006年10月25日水曜日

学道用心集(6)第五 参禅学道は正師を求む可き事 

右、古人云く、発心(ほつしん)正しからざれば、萬行(ばんぎょう)空(むな)しく施(ほどこ)すと。誠なる哉(かな)この言(げん)。
行道(ぎょうどう)は導師の正(しょう)と邪とに依る可(べ)きものか。機は良材の如く、師は工匠(こうしょう)に似たり。
縦(たと)え良材たりと雖も、良工を得ずんば、奇麗(きれい)未だ彰(あら)われず。
縦(たと)え曲木たりと雖も、若し好手に遇わば、妙功(みょうこう)忽ち現ず。
師の正邪(しょうじゃ)に随って、悟(さとり)の真偽あり。之を以て暁(さと)る可(べ)し。
但し我が国昔より正師(しょうし)未だ在らず。
何を以て之が然るを知るや。
言(ごん)を見て察するなり。
流れを酌んで源を討(たず)ぬるが如し。
我が朝古来の諸師、書籍(しょじゃく)を篇集(へんじゅう)し、弟子(でし)に訓(おし)え人天(にんでん)に施(ほどこ)す、
其の言(ごん)是れ青く、其の語未だ熟せず、未だ学地の頂(いただ)きに到らず、何ぞ證階の辺(ほと)りに及ばん。
只だ文言(もんごん)を傳えて、名字を誦せしむ。日夜他の寶(たから)を数えて、自(みず)から半銭の分(ぶん)なし。
古(いにしえ)の責(せめ)之(ここ)に在り。
或は人をして心外(しんげ)の正覚(しょうかく)を求め教(し)め、或いは人をして他土(たど)の往生(おうじょう)を願わ教(し)む。
惑乱此(ここ)より起り、邪念此(これ)を職(もと)とす。
縱(たと)え良薬を与うと雖も、銷(しょう)する方を教えずんば、病と作(な)ること、毒を服するよりも甚だし。
我が朝(ちょう)、古(いにしえ)より良薬を与うる人なきが如く、薬毒を銷(しょう)するの師未だ在(あ)らず。
是(ここ)を以て、生病除き難く、老死何ぞ免(まぬ)がれん。
皆これ師の咎(とが)なり、全く機の咎に非ざるなり、
所以(ゆえ)は何(いか)ん。人の師たる者、人をして本(もと)を捨て、末を逐(お)わ教(し)むるの然ら令(し)むるなり。
自解(じげ)未だ立(りゆう)せざる以前、偏(ひと)えに己我(こが)の心を専(もつぱ)らにし、
濫(みだり)りに他人をして邪境に堕(お)つることを招か(教)しむ。哀れむ可(べ)し、人の師たる者すら、未だ是れ邪惑なることを知らず、弟子何(なん)為(す)れぞ是非を覚了せんや。
悲(かな)しむ可(べ)し辺鄙(へんぴ)の小邦、仏法未だ弘通(ぐつう)せず、正師(しょうし)未だ出世せず。
若し無上の仏道を学ばんと欲せば、遙(はる)かに宋土の知識を訪(とむら)うべし。
遥かに心外の活路を顧(かえり)みるべし。正師を得ずんば、学ばざるに如(し)かず。
夫れ正師とは、年老耆宿(ねんろうぎしゅく)を問わず、唯だ正法を明めて、正師の印證を得るものなり。
文字を先とせず、解会を先とせず、格外の力量あり、過節の志気(しいき)あり、我見(我見)に拘(かか)わらず、情識に滞(とどこ)おらず、行解相応(ぎょうげそうおう)する、是れ乃ち正師なり。

(現代語訳)

上記の表題の意味は、過去の祖師の云われた言葉に、真理を知りたいという心を起こした時の態度が正しくないと、さまざまの修行に激しい努力をしても、結局何の役にも立たない事に努力した事になつてしまうと。
この言葉に対しては、心から真実であるという事を云うことが出来る。仏道修行をする場合の成果は、結局の処、指導をする師匠が正しいか間違つているかによつて、決まるものであるらしい。
弟子の素質は、材料が良いか悪いかに例えることが出来るけれども、師匠はその材料を使う芸術家の立場に似た処がある。
仮に材料が良くても、良い芸術家に恵まれなければ、素晴らしい作品を作り出す事が出来ない。
たとえ曲がりくねつた木を材料に使つた場合でも、若しも優れた腕前の芸術家に出合つた場合には、素晴らしい成果が忽ち現れる。
仏道の場合でも、師匠が正しいか間違つているかによつて、得られた結論が本当か偽物かの区別がある。
その事については、芸術作品の成果が芸術家の良否に左右される事を通して、知るべきである。
然し乍ら日本の国に於いては、正しい師匠がまだ出ていない。
その事がどういう理由から分かるのであろうか。
それぞれの師匠が述べた言葉を読んで、推察するのである。
川下の水を汲んで、川上の水の様子を調べるやり方に似ている。
わが国においても昔から、沢山の諸師方が、書籍を編集したり、弟子に教えたり、人間界や天上界の人々や神々に教えたりしているけれども、その述べている言葉は、正に若さが目立ち、その言葉も未熟であり、学問的な世界の頂点にさえ達していないのであるから、どうして体験の段階における周辺にさえ到達している事があり得よう。
唯、文章の言葉だけを伝えて、仏や経典の名前だけを唱えさせている。昼となく夜となく他人の財産を計算して、本人自身としては一銭の半分に相当する取り分もない。
過去における祖師方の責任も、このような事態の中にある。
ある場合には人々に対して、心とは無関係な処に正しい覚りが有るような主張を教え、
ある場合には人々に対して、この世の中以外の世界に生まれる事を願うような考え方を教える。
さまざまの惑いや乱れは、此のような処から始まり、間違つた考えも、此のような事態が密切に関係している。
仮に非常に優れた薬を与えたとしても、薬害を減らす方法を教えなければ、病気の原因になつてしまつている事は、毒薬を飲むよりも弊害が酷い。
わが日本の国においては昔から、良い薬を与える人が居ないように見受けられるし、毒薬の害を消す事の出来る師匠がまだ出ていないように見受けられる。
このような事情から、生まれる病気になるというような事情を、取り除く事が難しく、年を取り死を迎えるというような事実を、どうして免れる事が出来よう。
このような弊害は、何れも皆師匠の責任であり、弟子の素質の悪さが原因では決してないのである。
何故そのような事を主張するかというと、人の師匠に成るような人が他の人に対して、根本的なもの
を捨て、末梢的なものを追求させる処から、そのような事態が起こるのである。
そのような師匠は、まだ自分自身の理解が確立されていない以前から、一方的に自分自身の考えだけを使い、何の理由も無しに他の人を、間違つた境涯に落してしまう事態を起こしてしまうのである。
非常に哀れな事ではあるけれども、他の人々の師匠になるような人でさえ、心の働きとは無関係の覚りを求めさせたり、この世の中以外の世界に生まれる事を、求めさせたりしているのであるから、その人の弟子がどうして、心の外に正しい覚りを求めたり、この世界以外の世界の中に、生まれようとする事が間違いか否かについて、どうして正しい判断をすることが出来よう。
文明から遠く離れた小さい日本の国においては、まだ充分には釈尊の教えが行き渡つておらず、正しい師匠が、まだこの世の中に現れていないことは、悲しい事である。
若しも最高の教えである釈尊の教えを学びたいと思うならば、遠く宋の国の優れた僧侶を訪ねると良い。
遠く心の外の行いの世界を振り替えつて見ると良い。もしも正しい師匠を得る事が出来ない場合には、仏道は勉強しない方が良い。
元来、正しい師匠とは、年を取つているとか、修行の年限が長いとかということを問題とせず、唯、釈尊の正しい教えの内容がはつきりと分かり、正しい師匠からはつきりとした証明を得た人のことをいうのである。
文字に関する知識が優先する訳ではなく、理論的な理解が優先する訳でもなく、通常人の枠を超えた力量があり、常識を越えた意気込みがあつて、自分自身の個人的な意見に拘束されず、感情的な意見に停滞することもなく、日々の行いと佛道に対する理解とが完全に一致している人が、正に正しい師匠と云われる人の実体である。

(解説)

この章の最後に近い箇所で、道元禅師は、「正師を得ずんば、学ばざるに如(し)かず。」と云われている。その意味は、若しも正しい師匠に出会うことが出来ない場合には、仏道は寧ろ学ばない方がよいと云われている。そしてこの考え方は、非常に重要である。仏道を勉強するということは、自分が一生を掛けて追求する真実を求める努力であるから、もしもその真実が正しければ、その人の一生は非常に幸せなものになるのであるが、もしもその真実が正しくない場合には、その人は一回限りしか無い人生を、正しくないことの為に費やしてしまうのであるから、その不幸については、想像以上のものがある。
そこで道元禅師は、もしもその正しさがはつきりと分かつていない師匠について仏道を求めることは、自ら努力をして不幸を求めることになるから、そのような愚かな努力は、決してやるべきではないと云われているのである。
このことは、教えが正しいか正しくないかによつて、仏道を勉強することが、自分の生涯を幸せにするか、不幸せにするかを分けるのであるから、われわれも仏道を勉強するに当つては、徹底的に正しい師匠を得なければならない事を、非常に重要な用件として、真剣に考えるべきである。

「注記」私は去る九月十五日から、朝の坐禅の時間を30分から元の45分に戻すこととしたが、その変更の効果は、可成り大きいように感じられる。

2006年10月12日木曜日

学道用心集(5)第四 有所得心(うしょとくのしん)を用(もつ)て仏法を修すべからざる事

(本文)

右、仏法修行は、必ず先達(せんだつ)の真訣(しんけつ)を稟(うけ)て、私の用心を用いざるか。
況や仏法は、有心(うしん)を以つて得可からず。無心を以て得べからず。
但だ操行(そうぎょう)の心と道と符合せずんば、身心未だ嘗(かつ)て安寧(あんねい)ならず。
身心未だ安寧ならずんば身心安楽ならず。
身心安楽ならずんば、道を證するに荊棘(けいきょく)生ず。
所謂(いわゆる)操行と道と合して、如何(いかん)が行履(あんり)せん。心取捨(しんしゅしゃ)せず、心名利(みょうり)無きなり。
仏法修行は是れ人の為に修せず。
今世人(こんぜにん)の如き、仏法修行の人、其の心と道と遠(とお)くして遠し。
若し人賞翫(ひとしょうがん)すれば、縦(たと)え非道と知るも、乃ち之れを修行す。
若し恭敬(くぎょう)し讃歎(さんたん)せずんば、是れ正道(しょうどう)と知ると雖も、棄てて修せず。痛(いた)ましき哉(かな)。
汝等(なんじら)試みに心を静かにして観察せよ、此の心行(しんぎょう)、仏法とせんや、仏法に非ずとせんや。
恥(は)ずべし恥ずべし。聖眼(しょうげん)の照す所なり。
夫(そ)れ仏法修行の者は、尚お自身の為にせず、況や名聞利養(みょうもんりよう)の為に之を修せんや。
但(た)だ仏法の為に之を修すべきなり。
諸佛の慈悲(じひ)、衆生(しゅじょう)を哀愍(あいみん)するは、自身の為にせず、他人の為にせず、唯だ仏法の常(つね)なり。
見ずや、小虫畜類(しょちゅうちくるい)すら、其の子を養育するに、身心艱難(かんなん)、経営苦辛(けいえいくしん)し、畢竟(ひつきょう)長養すれども、父母に於いて終に益なきをや。
然れども子を念(おも)うの慈悲あり。
小物すら尚お然り、自(おの)ずから諸佛の衆生を念うに似たり。
諸佛の妙法(みようほう)は、唯だ慈悲の一條(じょう)のみにあらず、普(あま)ねく諸門に現(げん)ず。其の本(もと)皆(みな)然り。
既に仏子(ぶつし)たり、葢(な)んぞ仏風(ぶつぷう)に慣(な)らわざらんや。
行者(ぎょうじゃ)、自身の為に仏法を修すと念(おも)う可からず、名利の為に仏法を修す可らず、
果報(かほう)を得んが為に仏法を修す可からず、霊験(れいげん)を得んが為に仏法を修す可からず、
但だ仏法の為に仏法を修す、乃(すなわ)ち是れ道(どう)なり。

(現代語訳)

学道用心集 第五 何かを得たいという気持ちで、釈尊の教えを勉強してはならない事

上に述べられている釈尊の教えに関する仏道修行は、先輩が述べられた本当の要点を素直に受け入れて、自分自身が考え出した心掛けを、使つてはならないもののようである。
況して釈尊の説かれた教えは、頭を使い過ぎても得ることが出来ないし、頭を全然使わなくても得る事ができない。
唯、行いを実行して行こうという心掛けと、釈尊のお説きになつた教えとが、ぴつたりと一致した状態でなければ、身体と心とが完全に安定した状態にはならないものである。
そして身体と心とがまだ完全に安定していない場合には、真実を体験する際に、茨のような激しい痛みが伴うものである。
それでは行いを実行して行こうという心掛けと、釈尊のお説きになつた教えとが完全に一致した場合、どのような行いが実践されるのであろうか。それは、自分自身の心が選り好みをせず、自分自身の心の中に、名誉や利得を得たいという気持ちがない状態である。
釈尊のお説きになつた教えを実行する場合には、他の人が自分の行いをどのように評価するかを気にしながら、行いを実行する訳ではない。
しかし現代人の場合には、仏道修行をしている人の心と、真実とが非常に離れてしまつている場合が多い。
現代人の場合には、もしも他の人々がそれを非常に誉める場合には、それが仮に間違つた教えと分かつていても、実際にそれを実行する。
もしも人々がそれを尊敬しなかつたり、褒めそやしたりしない場合には、それが正しい道であると分かつていても、それを捨てて実行しようとしない。非常に痛ましい話ではなかろうか。
お前方は試験的に心を静かにして、状況を観察して見ると良い。このような心や行いを、釈尊の教えと考えたらよいのか、或は釈尊の教えと考えない方がよいのか。
恥ずかしい事である。恥ずかしい事である。聖人の眼から見れば、直ぐに分かる事である。
本来、釈尊の教えを実行する者は、仏道修行を自分自身の為にさえ、実行している訳ではない。況して名誉や利得の為にこれを実行するというような事が、どうしてあり得よう。
唯、釈尊の教えを目標として、仏道修行をすべきである。
真実を得られた沢山の方々の慈悲心が、この世の中の全ての生物を哀れむ事情は、自分自身の為にするのでもなければ、他の人の為にする訳でもなく、唯、釈尊の教えの当然の帰結として実行するのである。
小さな虫や動物でさえ、その子供を養育するに当つては、身体も心も苦難に曝し、その実行に当つて非常な苦労をし、最後迄長い期間に亘つて養育するけれども、その父親、母親にとつては最後迄、自分の為になるような事は何もない。
しかしながら父親、母親には必ず子供の事を考える慈悲心が有る。
どんな小さいものに就いても、そのような慈悲心が有り、そのような事情は、丁度、真実を得た沢山の方々が、この世の中の全ての生物を思いやる事情に似ている。
真実を得られた方々の優れた教えは、唯、慈悲という限られた分野だけで働く訳ではなく、この世の中のあらゆる分野に現れて来るけれども、その根源は何れも一つのものに帰着する。
われわれは既に釈尊の弟子である。どうして釈尊が実行された態度を見習わないことがあり得よう。
仏道修行者は、自分自身の為に仏道修行をしていると考えてはならないし、名誉や利得の為に仏道修行をするべきでは無い。
直接間接の幸せを得る為に、仏道修行をするべきではないし、非常に不思議な結果を得る為に、仏道修行をするべきでもない。
唯、釈尊の教えの為に釈尊の教えを実行する事、それこそが正に真実そのものである。

2006年10月10日火曜日

学道用心集(4)第三 仏道は必ず行によって證入すべき事

(本文)

右、俗に曰く、学べば即ち禄その中に在りと。仏の言(のたま)わく、行(ぎょう)ずれば証その中に在りと。
未だ嘗て学ばずして禄を得る者、行ぜずして証を得る者を聞く事を得ず。
縦(たと)え行に信法頓漸(しんぽうとんぜん)の異(なる)あるも、必ず行を待って超証す。
縦(たと)え学に浅深利鈍の科(しな)有るも、必ず学を積みて禄に預かる。
是れ即ち独り王者の優と不優と、天運の応と不応とに由るべきに非ざるか。
若し学に非ずして禄を得る者ならば、誰か先王理乱の道を伝えん。
若し行に非ずして証を得る者ならば、誰か如来迷悟の法を了ぜん。
知るべし行を迷中に立てて、証を覚前に獲ることを。
時に始めて船筏(せんばつ)の昨夢なるを知り、永く藤蛇の旧見を断ず。
是れ仏の強為(ごうい)に非ず、機の周旋せ令(し)むる所なり。
況や行の招く所は証なり。自家の宝蔵、外より来らず。
証の使う所は行なり。心地の蹤跡(しようじゃく)、豈に回転(えてん)す可(べ)けんや。
然れども若し証眼(しょうげん)を回(めぐ)らして行地を顧(かえり)みれば、一翳(いちえい)の眼(まなこ)に当たる無く、将(まさ)に見んとすれば白雲万里(はくうんばんり)。
若し行足(ぎょうそく)を挙(こ)して、證階に擬(ぎ)せば、一塵の足に受くる無く、将に踏まんとすれば天地懸(はる)かに隔たる。
是(ここ)に於いて退歩せば、仏地を勃跳(ぼつちょう)す。
天福二甲午三月九日書す。

(現代語訳)

第三、釈尊の教えは必ず行いを通して、体験的に入つて行くべきものである

上記の事については、俗世間においても、「学問をする場合には,学問をしたという事実そのものの中に、その報酬に相当する価値も、既に含まれている」と云われている。
釈尊も云われた。「修行をするならば、それを体験したことの効果は、既にそれを実行したという事実の中に含まれている」と。
未だ嘗て学問をした事が無いにも拘らず、報酬を得たという例を聞いた事が無いし、行いを実行しないにも拘らず、体験を得たという例を聞いた事が無い。
たとえ行いには、信仰を大切にするとか、実践を大切にするとか、速いとか遅いとかという種類の違いはあるとしても、必ず実行という事実があつて、体験を超越することが出来るのである。
たとえ学問の世界には、浅いとか深いとかという区別もあれば、頭がいいとか悪いとかの違いがあるかも知れないけれども、例外なしに、学問を積み重ねる事に依つて、報酬が頂けるように成るのである。此の事は唯、支配者が優れているかいないかとか、時代の流れが適応しているとかいないかとかという事で、決まるものではなかろうか。
もしも学問をしなくても報酬が得られるというような状態であるならば、誰が嘗ての帝王が持つていたような、世の中を治めたり乱したりするやり方を、後世に残す事が出来よう。
若しも修行を実際に実行する事なしに、体験を得る事が出来るものとするならば、誰が釈尊がお説きになつた迷いと悟りとに関する教えを、理解することが出来よう。
次の事を知るべきである。迷いに迷つている状況の中でも、修行を実際にやる事に依り、悟る前に体験を得ることが出来るものであることを。そのような時点で始めて、船や筏を使つて真理の世界に渡ると云う考え方が、過去の夢である事を知り、藤の蔓を見て蛇と間違えるような古い考え方を、断ち切る事が出来る。
このような行いは、釈尊が無理に努力をして達成された処では決してなく、物事に於ける現在の瞬間に於ける状況から、生まれて来るものである。
況して実際の行いの自然に招き寄せるものが、体験である。
自分の家の宝の蔵は、自分以外の処からやつて来る訳ではない。体験が活用する処は、行いそのものである。心の経過した境地を、後から変更することがどうして出来よう。
しかしながら、若しも体験を通したものの見方を使つて、行いの境地を振り返えつて見ると、一つの影でさえ眼に見えるものは何も無く、何か見ようとしても、見渡す限り白い雲が続いているだけである。
若しも行いの足跡を、体験に関する足跡であると考えるならば、足を踏み下ろそうとしても、足を支えて呉れるものが何もなく、実際に足を踏み下ろそうとしても、大空と大地との間の距離程の隔たりがある。
そのような状況の中で、自分自身に対して抑制の態度をとるならば、釈尊の境地をさえ、飛び越える事が出来る。
一二三四年三月九日に書いた。

2006年10月8日日曜日

学道用心集(3)第二 正法を見聞(けんもん)しては必ず修習(しゅじゅう)すべき事

(本文)

右、忠臣一言を献ずれば、数(しばし)ば回天(えてん)の力あり。
仏祖一語を施(ほどこ)せば、回心(えしん)せざるの人莫(な)し。
自(おの)ずから明主(みょうしゅ)に非ずんば、忠言を容るることなく、
自ずから抜群に非ずんば、仏語を容(いる)ること無し。
回心せざるが如きは、順流生死(じゅんるしょうじ)の未だ断ぜず、
忠言を容れざるが如きは、治国徳政(ちこくとくせい)の未だ行(おこな)われざるなり。

(現代語訳)

上に述べている事の意味は、誠実な家臣が(君主に対して)一言(ひとこと)を献上することに依り、世界の情勢をひつくり返すだけの力がある。
釈尊が一つの言葉を与えた場合、物事に対する考え方を、完全に入れ替えることをしない人はいない。
(帝王は)自分自身が物事のよく分かる帝王でないと、
誠実な家臣からの真心込めた意見を受け入れる事が出来ず、(佛教徒も)自分自身が普通の人々から遥かに優れていないと、釈尊の言葉を受け入れて納得することが出来ない。
(釈尊の言葉を聞いても)物事に対する考え方を、百八十度転換することの出来ない人々は、生き死を伴う日常生活の中で、唯流れに従つて生きて行く態度を、まだ捨てていない事実を示すものであつて、(帝王が)忠実な家来の意見を採用しないことは、国を治め道徳的な政治を行う事が、まだ行われていない事を示している。